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日本は、江戸時代まで、独自の菓子の発展をとげてきました。しかし、明治になり、開国。西洋文化と西洋の食品がやってきます。中でも「ビスケット」というものが重要なキーワードとなります。
ビスケットとは、クッキーともいい、今日では、なじみの深いお菓子ですね。
明治期に日本に入ってきたように思われていますが、そうではありません。
南蛮菓子の時代「ビスコート」という名前で日本に伝来していました。
織田信長もビスケットが大好きで港町「堺」より取り寄せて食べていたといいます。
このビスケットは明治、日本に再上陸しました。しかし、かつての南蛮菓子の時代とは違った伝来でした。それは、単に、西洋のかわったお菓子、美味しい珍しいもの、というだけでなく
政治的な意味合いがありました。
明治のはじめ、岩倉使節団が、世界中を旅しました。メンバーは政治、経済、教育をになっていく、新時代の知識人たち。
イギリスに行ったときのことです。産業革命で大発展をとげた大英帝国。そこで彼らが見たもの。
それは工場で大量生産されているビスケットでした。

イギリスでは工場で機械を使って、大量生産。その光景は、目をみはるものでした。
政治家たちが注目したのは、ビスケットを兵糧に使うというもの。つまり、戦争するとき兵隊さんに持たせる食事です。
従来の握り飯や糒(ほしいい)に比べ、日持ちもするし、炊飯の手間もいらない。
海軍がいち早く取り入れたといいます。最初はパンだったのが、水分の少ない乾パンや、ビスケットに、変わっていきました。
西洋より機械を導入し、ビスケットが大量に作られていきました。今日の大手菓子メーカーのほとんどがこの時期誕生しています。イギリス式、アメリカ式に工場で菓子を作る、ということをはじめた会社が大きくなったのです。
庶民の需要もふえてきたものの、ビスケット工場は、ほとんどは軍隊のために稼動していました。富国強兵、戦争と結びつく形で、菓子業界は急成長をとげたのです。
明治という時代は、けして、新しい”味”だけを意味するものではありません。「工場で作る」ということがはじまった。それは、すなわち、日本人の食生活に豊かさをもたらす。と同時に、大量生産の様々な弊害の萌芽をはらんでいるのです。
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