太平洋戦争・大東亜(だいとうあ)戦争の和菓子の歴史

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太平洋戦争・大東亜(だいとうあ)戦争の和菓子の歴史

太平洋戦争・大東亜(だいとうあ)戦争の和菓子の歴史

あのころの和菓子は?

太平洋戦争。大東亜戦争(だいとうあせんそう)ともいいます。

毎年、8月になると、戦争の記憶がよみがえる方もいまだおいででしょう。和菓子の歴史にも、名もなき人々の真摯(しんし)な生き様があります。

贅沢は敵だとばかり…

太平洋戦争・大東亜(だいとうあ)戦争の和菓子の歴史戦時中、男性は、徴兵され、女性は、勤労奉仕にかりだされました。和菓子職人さんたちも、戦地にむかったのです。

物資がことごとく不足し、和菓子業界は大打撃を受けます。

砂糖も手に入らなくなります。菓子を作る道具も国へ供出させられます。家庭のナベですら、兵器の材料になった時代です。菓子屋も例外ではありません。

沢山の業者、店が廃業・休業を余儀なくされました。

しかし、虎屋(とらや)塩瀬(しおせ)など、国の御用を受け持つ店は、軍事用の菓子を作っていました。

しかし従来の味や包装そのまま作るということは、できかねたケースもあったようです。

将校さんの羊羹(ようかん)

太平洋戦争・大東亜(だいとうあ)戦争の和菓子の歴史虎屋の軍用菓子の歴史は、非常に興味深いものがあります。

軍隊向けは、羊羹(ようかん)が主でした。

海軍用には「海の勲(いさおし)」。陸軍用には「陸(くが)の誉(ほまれ)」という名前の羊羹がありました。

兵隊さんが戦地で食べるため、小さく作られました。爆弾がとびかう生死の境。兵隊さんは、羊羹に勇気づけられたのです。

召し上がってください!

終戦まじか。東京の大空襲。虎屋の工場は、なんとか全焼をまぬがれました。しかし、製造中の羊羹は、なかば、ダメになりました。

瓦礫(がれき)の中で、甘い香りがただよいます。虎屋は、それを、軍用にもかかわらず、もう、戦地に送れないからと、民衆に、「自由に召し上がってください!」と叫びます。人々が殺到します。

砂糖の配給は、もう何年も前に終わっています。お菓子どころか、芋すら腹いっぱい食べれない。家も燃えた。家族も燃えた。心も体もどん底にある人々。この羊羹の味は、どんな風にしみわたったことでしょうか。

現代に生きる私には、菓子がない生活など想像がつきません。この虎屋の決断、そして、人々の喜び。胸の震えるエピソードです。

京都では…

太平洋戦争・大東亜(だいとうあ)戦争の和菓子の歴史京都の和菓子店も、この時代、ほとんどが休業を余儀なくされます。

非常に材料を吟味する、老舗、川端道喜(かわばたどうき)。名著「和菓子の京都」の中でも、戦争中の苦労を語っています。

戦後すぐに営業を再開できなかったと。当時あったニセモノの砂糖などの、まがい品を使用するということは、一切しなかったためです。

さらに、この本に書かれています。

…かつての軍国日本みたいに、結構同じ形で一列になって、みんなで進んでいく。やっぱりそのときに、反対できる批判精神と独自な主張がいえる姿勢を常日養っとかないと…

ここに、国家や社会に左右されない、今を生きる老舗の心をうかがうことができます。


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2007年8月16日記


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