南蛮菓子(なんばんがし)とは何か?

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京都の美味しい かすていら ポルトガル菓子

南蛮菓子(なんばんがし)とは何か?

鉄砲と神様とお菓子がやってきた!

ザビエル南蛮(なんばん)菓子とは、南蛮貿易の時代に日本に伝わったお菓子を指します。

室町、天文12年(1543)種子島にポルトガル船がやってきました。それから、鉄砲が日本に伝わり、南蛮貿易がはじまりました。

6年後には、キリスト教の宣教師、ザビエルが来日。

以後、宣教師たちは、八百万の神と仏の住む日本で、一神教の教えを説くことになります。

食べ物でつった伝道

金平糖宣教師たちは、キリスト教を伝えるためにお菓子を使いました。つまり、食べ物でつったということ。

未知なる黄金の焼き菓子、バターの香り、飴菓子、キャンデー。人々は、驚嘆し、心を開いていきました。

戦後進駐軍が配ったチョコレートと同じようなものですな。いつの時代も人は、甘いものには弱いのです。

金平糖も南蛮菓子です。1569年、宣教師、ルイス・フロイスが布教の許可を得るために、信長に謁見しました。このとき、袖の下に使ったのはなんと、金平糖。いたく気にいった信長は南蛮文化に傾倒します。

日本のものとなった南蛮菓子

この頃より、70年ほど、南蛮貿易の時代が続きます。この間、ものすごい伝播力でもって、西洋の菓子は日本人に広がります。

そばぼうろ1616年以降は、長崎の出島に貿易を限定する鎖国がはじまります。以後、明治の開国まで、日本は閉ざされます。しかし、その長い江戸時代の間に、ビスケットはそばぼーろに、飴は有平糖に、ケーキは、かすていらになりました。南蛮菓子は、日本人の材料を使った日本人のお菓子に変身するのです。

特筆なのは、南蛮菓子を通じて、日本のお菓子が甘いものとなったこと。それまでは、 甘葛煎(あまずらせん)などで、無糖の甘味をつけていたそうです。また、卵を菓子に使うようになったのも 南蛮菓子の影響から。南蛮菓子は日本の菓子の歴史に大変革をもたらしたのでした。

京都の南蛮菓子

良き古いものは守り、進取のものにはチャレンジする京都人気質。南蛮菓子の歴史の中にも見え隠れするような気がします。

京都ならではのカステラや、ぼーろ、有平糖をお楽しみくださいね。


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2007年3月1日記


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